スピリチュアル自体を否定するつもりはこれっぽちもないのです。
僕だって幻想や霊魂やファンタジーや神や仏や妖怪や精霊や星回りや神話や伝説や、
精神世界や神秘主義やオカルトや、そんな話はどちらかと言わないでも大好きなほうです。
スピリチュアルを口にする人たちが気持ち悪いせいです。
僕が嫌いなのは、彼らです。スピリチュアルではない。
スピリチュアルは現実逃避や根拠のない自己肯定やペテンや金儲けのために存在しているわけじゃないって、
誰もが知っているはずなのに。
とか、ろくに定義もしないでスピリチュアルスピリチュアル言うてますけど、まあ大体分かりますよね。日本人っぽいですか。
あの人たちがしゃべってるようなことです。
日本においては、良きにつけ悪しきにつけ唯一神と共に人生があるという考え方は希薄ですよね。
つまり、人生において良いことがあったり悪いことがあったりして、
『これは神様の思し召しであるから感謝する/懺悔する ⇒ 受容する』となる思考回路は、ほとんど持っていない。
もっと言えば、「全部何もかも神様のせい/神様のおかげ」「彼が関与していないことなど何もないのだ」と思って生活している日本人なんてほとんどいないんじゃないかなあ。この場合の神様っていうのは明確にひとつの存在ということです。もったいないお化け的な神様ではありません。便所の神様が支配しているのは便所であって、僕の人生ではない。まあ、僕の人生は便所みたいなもんですけど。
何があっても最終的には神様のせいにできる。心の底からそう信じているかどうかは別に、社会環境として。
自分たちの人生の最終責任は彼が持っていると。
これは、ある一面では、アホである、とも言えますが、一面では、精神衛生上、よく出来ている、とも言えるんじゃないでしょうか。
最終責任を負ってくれる(ということにしてある)神が存在しないと、僕らは誰のせいにするか。
自分のせいか、他人のせいにする。
これは大変ですよ相当。気づいてないけど相当キツイ。日本から出たことがない僕らは、そういうもんだと思って暮らしていますが、この世に存在しているのかどうかも分からんヤツのせいにして「彼がそう思ってるなら仕方ない」と思いながらとりあえず毎日寝られますよ、と聞くと、いいなあ、ってちょっと思いますよね。
限界までストレス値が上昇した現代社会、現代日本で、それに耐えかねる人は多い。
自分のせいにしすぎて気が狂ったり自殺したり。
他人のせいにしすぎて包丁持って走り回ったりモニターに流れる糞の川で度を越えた火遊びをしてみたり。やけくそですよねそれこそ。
彼らがストレスからの逃げ道としてスピリチュアルを見つけるのに、そんなに時間はかからなかった。
そんな彼らを見て、
「寝っころがって自分の利益ばっかり望んだ結果から目をそらして何かええことあったか」
と言ってしまうのは、正しいのか、誤りなのか。
さあ中身スカスカの壮大な余談を中断しましてですね、スピリチュアルの話ですよね。
.......
........
このエントリーは、
メルマガ 山本山本佳宏『二十一世紀の未読』
本日配信分の一部を抜粋したものです。
全文は是非、メルマガでお読みください。
★登録:http://www.mag2.com/m/0001310550.html