東: あのさー、福島県出身ってホント?
地: え、あ、まあそうだけど。
東: 方言出なくない?
地: そ、そう?そんなに意識したことないんだけどな。
東: 全然分かんないよー!ねえねえ、何か方言しゃべってみてよ。
地: え?
東: だべとかずらとか言うんでしょ?
地: い、言わないよ、そんなの。
東: ウソー?じゃ、だぎゃーとかみゃーとか?
地: 言わねえってば!
東: あ、今、ちょっと訛らなかった?
地: ...え?
東: 今、訛ったよね?
地: 訛ってないじゃん。
東: 何急にジャンとか言ってんの?訛った訛ったアハハハハハハ訛った訛った!アハハハハハ
ウワワウワウワワワーーー!(ガバババッ!)...夢か...
ウワワウワウワワワーと叫んで飛び起きた汗ジットリナイトメア男の気持ちを分からない人、東京出身者。
「キミたちには絶対分からないし、分かられてたまるもんか!」と、アホ脚本家が書きそうなセリフが頭に渦巻いた人、地方出身者。
方言を隠しつつ矯正する。かつては「上京」における通過儀礼であった。
この高いハードルを越えようとする中で、ねじくり返ったコンプレックスが、いまだにツムジの辺りでクルクルと理髪店の棒のように回転している人も多いだろう。
しかし最近、東京都心のあちこちで、耳にしないか、方言を。気のせいか。俺の気のせいか。俺は疲れているのか。そういえば昨日コエンザイム飲むの忘れた。いや飲んだっけ。飲んだのは葛根湯だっけ。何で葛根湯飲んだんだっけ。
それはともかく、都心にあふれる色とりどりの方言。都心というよりも、クリエイティブオーラをドリドリ放出している人にこそ、方言使いが多くなっている気がする。本当か。クリエティブと方言の関係を調べてみる価値はあるのか。でももう止まらない。
ある地方出身者の証言 1 (福島県出身・Mさんの場合)
アンタは絵の具の上でスッ転んだのかと言いたくなるほど激しい色遣いのファッションを身に纏うMさん。すでに上京して20年ほど経過している。しかし先日、タクシーを止め乗り込んだところ、運転手にこう言われた。「お客さん。東京の人じゃないでしょ」...心臓が鼻と耳の穴から4つに分かれて飛び出すほど動揺したMさんは、努めて冷静に答える。「いや、俺東京だよ」...とっさにウソをついてしまう悲しさに涙が止まらないが、運転手の攻撃は、ここでとどまらなかった。
「あそう...おかしいなー...おかしいなー...お客さんみたいに、東京で派手なカッコしてる人は、大体地方の人なんだよねー東京の人は無意識かどうなのか地味な服選ぶんだよねー...おかしいなー」運転手さんよ、もう許してやっておくれMのことを。
一昔前の「地方出身コンプレックス」時代を生きてきた彼は、あふれ出す涙を隠そうともせず証言を続けた。
Mさんが、予備校生として上京してきた頃の話。彼はクラスでモテた。ファンクラブが結成され、Mさんの昼弁当の担当カレンダーが作成されるほどモテた。彼は人生の春を高らかに謳歌した。しかしそれは、春と同じく、すぐに訪れた梅雨前線によって終わりを告げた。
「何で僕がモテたのかというと、訛っていたからです。東京の女の子たちは、訛りが珍しく、優しそうに聞こえたみたいで、それはそれはモテたんですけど、別に僕、優しいわけでも何でもないんで...それに気づいた女の子たちは潮が引くように去っていきました。短い春でした」泣け!好きなだけ泣くが良い、地方出身者Mよ!
勝手に勘違いされ、チヤホヤして消費したあげく、用が済んだら捨てていく。恐ろしい...恐ろしいよ東京娘!猛ダッシュしてくるロメロのゾンビのように恐ろしいよ!金網登っちゃうよ!
Mさんの、命からがらゾンビから逃げ出してきた貴重な証言から得られたこと。それは、「方言を使うと、無条件に温かい、情が深いと思われる」ということか。
『大阪弁』について考える
「そんなん、あきませんわー!」「めちゃくちゃやな、キミー!」「ウワハハハハハハ」チッ、うっせーな...
東京と方言の関係を検証するにあたって、「大阪弁&関西弁」は、別格として扱わなくてはいけないだろう。
今や、東京を侵食し、テレビの全国ネット電波を通じて、日本全土を侵食してしまった唯一の方言。
先ほどのMさんの話でも分かるように、自分のテリトリー外、特に東京で、お国言葉をあえて使用することは、かなりの負荷がかかる消耗イベントである。にも関わらず、ひときわ声高に訛るあの押し出しの強い姿勢。「せやろ!せやろ!ウハハハハハ!」よほど大阪弁に自信があるのか、あるいは大阪に愛着があるのか。最近まで、その本質に迫ることは出来なかった。
実は俺は関西出身者であるが、先日、久々に実家に戻って、何となく家族でテレビを見ていた。
テレビドラマや映画には、大阪を含め、関西地方を舞台にした作品も多く、関西出身ではない俳優を起用することも多々あるわけだが、そんなドラマがテレビで始まった。そして事件は起こった。
あの温厚な両親が、下手な大阪弁を話す俳優に対して、異常な拒否反応。「もう見てられへん!」リモコンポチーン!チャンネルパチーン!ザッピング世代もビックリですよ。チャンネル変えるの早すぎ。いやゴメンホントはビックリしなかった。本心を語ろう。そのときの俺の心の中の妖精も、明らかに「もう見てられへん」と大暴れしていた。嫉妬にまみれたティンカーベルのように、カラダの中でバッコンバッコン飛び交っていた。そして俺は気づいた。
大阪出身者の前で、見よう見まねで大阪弁を喋ってみよう。ほぼ例外なく過剰に拒否反応を示すはず。
大阪弁の常時使用。それは『閉鎖性』と、それに伴う『他者への威嚇』。
電車内でアホかと思うくらいデカイ声で笑ったりカフェで店員さんを「ねーちゃん!ねーちゃん!注文や!」と呼びつけたり「人がボケてんねんからすぐツッコめやオマエ!」と強要したりするのも『閉鎖性』の裏返し。他者、特に東京出身者が、自分のテリトリーに侵入してくることに怯えているからこその威嚇。嗚呼そうなのか大阪人&関西人よ。あっ!コレは俺にも当てはまるのか!SHIT!まるで根気良く捜査した結果、真犯人が自分のフィアンセだった刑事のような虚脱感。「ヒトミ、お前、本当に高橋教授を殺したのか...」「ゴメンなさいトオルさん、私はこういう風にしか生きられない女なの。でもこれだけは信じて。アナタへの愛だけは...本物だった...」♪さあー眠りーなさーいー疲れーきったー...
ハイハイハイ。雑談はここまで!こっちに注目―。
こういう証言とエピソードを踏まえた上で、クリエイティブと方言使いについて、本格的な検証に入っていこうなーみんなー。
東京で方言を使う人たちには、大まかに分けて3つのタイプがあるんじゃないかと、先生思ってるぞ。
タイプ1:方言を売り物にしてる人
タイプ2:不覚にも訛ってしまってる人
タイプ3:方言を直す気がない人
最近、先生が気になって仕方ないのが、タイプ3の人たちだ。この人たちに、クリエイティブの香りがプンプンする。
その前に...えーっと出席番号の10番と15番。タイプ1と2の人には、どんな人がいるのか、例を挙げてみなさい。
タイプ1:方言が売り物
※ヒロシ(お笑いタレント) 熊本県出身
...俺ヒロシ。ひとり暮らしやのに、エロ本を隠しまんねん。あれ?こんなんだっけ。まあいいや。良くないだろう。
ヒロシです。ひとり暮らしなのに、エロ本を隠すとです。
いやいや、売れまくってますなヒロシ。本名斉藤健一。もうコドモも10代女子も、みんなまとめてヒロシのモノマネ大会ですよ。ヒロシです。
安っぽいホストスーツに身を包み、熊本弁で自虐ネタをボソボソとつぶやく彼であるが、お気づきの向きもあるだろう。
ヒロシは別に訛ってない。「とです」をくっ付けてるだけ。訛ってないよヒロシ。フリートークになれば一目瞭然。すっかり東京弁。
これさー、認める?方言って認める?熊本の人どうなの?ただのネタのスパイスとして使うだけの方言ってどうなの?これでクリエイティブになれるの?俺聞きすぎ?俺のこと好き?どれくらい好き?晩メシ何食べたい?こんなに質問されたらウザイ?ねえウザイ?
※ダニエル・カール(タレント) 米国・カリフォルニア州出身
ダニエルカーールッ!ダニエルカーールッ!何でフルネームでこの人の名前を叫びたくなるのか分かった。必殺技っぽいからだ。デビルビーームッ!ダニエルカーールッ!
そんなコトは良くてダニエル・カール。山形弁を巧みに操るアメリカ人として、何者にも変えがたいポジションをキープし続ける男。「だって、仕方ないじゃん。ダニエル・カールさんって日本に来たらそこが山形県で、最初に覚えた日本語が山形弁だったわけだし」...みたいなコトをフンワリと考えていると、いつまでたってもダニエル・カールの呪縛から抜け出ることは出来ない。彼のプロフィールを熟読。
『高校時代、交換留学生として奈良県に1年間滞在。大学生時代、大阪の大学で4ヶ月学び、その後京都で2ヶ月ホームステイ、佐渡島で4ヶ月人形づかいの弟子入り。大学卒業後、再来日して山形県で3年間英語教育に従事』奈良に大阪に京都に佐渡島!山形県は5ヵ所目の日本!ダニエルさん!アンタ関西弁もいけるクチなんでしょホントは!色々考えて山形弁なんでしょ!
タイプ2:不覚にも方言
※柳葉敏郎(俳優) 秋田県出身
頭のテッペンの髪をぺターッと前に寝かせて前髪おっ立てるギバちゃん。流行ったなあ、あの髪型。鏡の前で試しにやってみてあまりのカッコ悪さに声を上げて自分の部屋に駆け込んだ15の俺。盗んだバイクでシェリーに追突!
そんな罪作りなトレンディー俳優の彼も、今や日本を代表する演技派。だけど、俺はずっと昔から思ってた。
「ギバちゃんって、訛ってないか?」長台詞は一応問題なく過ごせても、相づちや短い受け答えのイントネーションにポロポロとこぼれだす秋田訛り。自分でも分かっていたのか、ドラマの中のギバちゃんの声は、日を増すごとに、どんどん小さくなっていってる気がしてた。ギバちゃんが可哀想だった。ギバちゃんが訛ってると思ってるのは俺だけ?そんな悩みは時を経て、『踊る大捜査線 THE MOVIE2?レインボーブリッジを封鎖せよ!?』の中の、室井監理官の台詞で解消した!
『蒲田』を秋田弁で読むと『カメダ』!訛りで犯人特定しまくり!(分からんやつはDVD見ろ)VIVA秋田弁!ていうかオマージュと称して松本清張引っ張り出すの禁止!それはともかく良かったなギバちゃん!七三も似合うぞギバちゃん!俺も七三にする!
※高田明(ジャパネットたかた社長) 長崎県出身
ソニイですよ!ソニイの液晶テレビ見てください!ソニイ!薄いですよソニイ!このテレビにエビフライを乗せて9万9800円!乗せるな!
お茶の間の脳波をビリビリと刺激する鳥型怪獣のようなTAKATA社長の声は、今日も明日も明後日も。テレビから聞こえてくる。いつ聞こえなくなるのか見当も付かない。
そんな怪電波からこぼれ出すのは、社長の長崎訛り!
かつて、インタビューで、社長が「私に訛りがあるとすれば、それは個性です」という発言をしていたのを見たことがある。社長!通販の世界に『たられば』は禁物!そんな掟聞いたことない!でも社長!訛ってる訛ってる!しっかり出てますよ長崎弁!
さて。タイプ1の人たちについては、大方結論が出ている。『この人たちにとって、クリエイティブと方言は全くの別物』ということ。
方言がネタ(売り物)として消費されると、そこから滲み出る温かみ、親近感、優しさといった魅力は消えうせる。本人がクリエイティブじゃないと言ってるわけではない。関係がないってこと。ネイティブに滲み出る方言の魅力、温かみとの違いを、受け手が本能的にかぎ分けてしまった瞬間、そこに方言クリエイティブは像を結ばない。真空パックされると、サバの味噌煮の匂いが漏れてこないの同じコトだ。そうですよねたかた社長。ソニーの真空パックって売ってますか?売ってない!
タイプ2の人たちについては、多少慎重な論理が必要。まず大前提として、この人たちは、『必死に方言を矯正しようとしている』または『何となく標準語が馴染みつつある』人たち。そんな道半ばな人たちからうっかり漏れてくる訛りは、非常に微笑ましいし、モロに方言な人よりも、温かみを感じる瞬間があるかもしれない。しかし、彼らには2つのゴールしかないことも同時に知っておくべきだろう。
『いつか完全に標準語をマスターし、方言を封印する』
『方言が売り物になることを発見し、タイプ1に変身』
プロセスの中で見せた、一瞬の輝き。彼らの夏を、私たちは忘れない。駒大苫小牧。
さて。そのタイプ2における、最近の懸念事項を1つ。『マシューズ・ベストヒットTV』のコーナー『なまり亭』が大人気ですな。俺も好き。タレントさんたちが普段見せないお国言葉をしゃべる様子を見せて好評を博している。俺にも好評。しかし危険。現在検証中の『方言クリエイティブ』にとっては、超危険なコーナー。アレは、普段タイプ2に陥らないように努力しているタレントたちを、2を軽く超越してタイプ1に目覚めさせるリスクを伴っている。
『あ、アタシ今、訛ってウケてる!』ダメダメダメ!その気づき危ない!いやイイんだけども。タレントさんが売れるのは大歓迎なんだけども。方言クリエイティブにとって、タイプ3に向かう可能性があるはずの人材を失うのは、非常に惜しい。
タイプ3:方言を直す気もない人たちについて
方言丸出し。最初から矯正する気もない。恥ずかしがることもない。自然派。C.W.ニコル。最後のやつ違うな。
このタイプ3に属する人たちが最近次々と登場し、クリエイティブの香りを漂わせていることは、さっきも記した通り。
ここは迷わず、具体的に名前を挙げてみよう。
※峯田和伸(銀杏BOYZ) 山形県出身
方言どころか何にも直す気ないだろ。骨折以外は。もうどうしようもない。
フェスにツアーに、この夏暴れまくった銀杏BOYZ峯田。落ちるわ転ぶわチンコ出すわ捕まるわ感電するわ客殴るわ山形弁丸出しだわ2回も骨折するわ。もうどうしようもない。古文でいうとやんぬるかな。
いい所あるのかこいつに。問いかけながら答えは持ってた。全部いい所。「俺さうだわせろー!」って言われたら、両手挙げて叫ばずにはいられない。突然、しみじみとした山形訛りで「辛かったり悲しかったりしたら、古いラジカセで銀杏聞いてくれよ」と語りかけられたら、耳を傾けずにはいられない。峯田の方言には、相手との間の壁をグニャグニャに溶かす熱さがある。自分のクリエイティビティを、100%相手に届ける武器になってる気がする。
※The BACK HORNの皆様 茨城県・福島県・福島県・広島県出身
ほとんどしゃべりません。まあしゃべりません。ドラムの松田君が唯一しゃべってくれますけど、福島弁丸出しです。そしてまた全員、ものすごい勢いで黙ります。トーク番組なのに。でも全くイヤな気はしない。時々ギターの菅波君がボソボソとしゃべりだします。福島弁丸出しです。でも、そのボソボソに興味を引かれて近づいてみると...熱っ!熱い!市民プールのコンクリくらい熱い!もう前段も話の展開もなし。いきなり本題というか本質というか生と死を見つめてるというか。ピュアですわ。今いる場所が東京だろうがふぐすまだろうが関係ないと。やらなきゃいけないことは変わらんと。そして時々、「この方言、カワイイとかって言われるんす」とか言いながら赤くなって笑うのを見ると、おばさんギューッと抱きしめたくなっちゃう。
くだらない方言矯正プロセスになんか興味がねえ、という姿勢が、ピュアなクリエイティビティを保存してくれている。そんなバンド。
※町田康(作家 元「イヌ」の町田町蔵) 大阪府出身
パンクなんて所詮ファッションだし、本当にアナーキーなヤツなんか、日本にはいない。
そんなスネ夫的スネ方の反証として存在するのが町田康。目がイッてる。ホントにイッちゃってる。パンクバンド『イヌ』時代と何にも変わらない目をしてる。そんな目をしたままでスター小説家として認知されるまでになった男は、そうそういない。そんな彼は大阪府出身。あれ?出る?出ちゃう大阪人のアレが?...と思ったら、作品の中で炸裂したのは標準的大阪弁ではなく、南部の河内弁だった。「おちょくっとったら、しばきたおすど、こらあ」(『告白』より)
非常にスタンダードな関西弁を使う俺が河内弁に抱いてきた印象。汚い。キツイ。怖い。オッサン。
3K1オッサンな方言は、古語や江戸っ子訛りに入り混じって、ひたすら軽快なビートを刻み続けている。そんな感じ。「俺は大阪南部の出身やでー」的自己主張&威嚇の香りは一切なかった。偶然手に持っていたこん棒で、目の前のスライムを殴りつけたのと何も変わんない。自分が使っていた河内弁が、作品に必要なら使う。そしてこん棒はこん棒のまま。タイプ1の人のように、こん棒にクギをいっぱい刺してみたり武器屋を始めてみたりすることはない。
この素晴らしいバランスの方言使いを、よくあんなイッちゃった目でできるなアンタ。
今回挙げたタイプ3クリエイターは、器用じゃないし、ひょっとしたら社会的には弱い人たちなのかもしれない。ただ、その代償として、自分のクリエイティティを、お熱いままお届けすることにうっかり成功した人たちでもある。
変わらないこと、飾らないことは、時として大きなパワーを生み出す。飾り立ててもパワーは出ますけどね。その飾る労力が苦じゃなくて、飾らないと恥ずかしくてやってられない人はそっちを選んだらええんちゃうかと。そう思いますわ。