サカサナイデ
サカサナイデクダサイ
オネガヒテスカラ サカサナイデ
今週来週と、旅に出ます。
旅というか出張ですね。お仕事です。
おいおい、まだ仕事してんのかと。
俺らはお前の転落人生を見物に来てるんだぞと。
ですよねー。すいません。でも着実に転落していますよ、と言ったところで転落の証明って難しいですね。
全裸でハンマー振り回しながら歌舞伎町走りますか。その時には。
一応、生活費ぐらいは稼いどかないといけないかなと思って。
とかいうと怒られますか依頼主に。こんな言い方してますけど全然アレですからね。好きな人とのお仕事です。
旅に出てしまうと危ないので何とかその前にメルマガ配信していかないといけません。
間に合ってるかなーこれ。
旅が好きなほうではありません。
観光とか行って、大自然とか遺跡とか見て、はぇーすっごいとは思うんですけど心の奥底はレンジをミスった冷凍チャーハンのように、キンキンに凍ったままであったりもします。
はぇーすっごいという感想にウソはないはずなんだけども、同時に、「はいこれを見ました」「はいこれを体験しました」というハンコをラジオ体操のように押してるだけだろという思いが常につきまといます。「見たから何なん?」という問いに答えがない状態と言いますか。そのカードをスタンプで埋めたら極楽浄土にでも行けるんでしょうか。そういう宗教なら納得しますけども。
旅は誰と行くのかが唯一の問題で、どこに行くのか何を見るのかはあんまり。どっちでもいいのです。一人旅とかなおさら興味がない。
「素晴らしい風景やその地での人との出会い、新しく触れる異国の文化などによって、心が豊かになり刺激も受けるだろうがボケ!!!」
それこそまさしく、個々人の自由であって何を見て何を感じるのかはそれぞれ違いますし何より知りようがありません、僕たちが知ることのできるのは、その人が何かを見て何かを感じた結果、何をするのかということだけです。
その人が例えば素晴らしい曲を作ったとして、僕はそれが10年引きこもった結果であってもインドを一人旅して得た経験の結果であっても、どっちでもいい。そんなことはどっちでもいいんです。
インドの自分探し旅行をする人と、すぐに映画評論したがる人にキモイ奴が多いという事実がノイズとなって判断の邪魔をしますが、僕は経験をスタンプカードのように扱うつもりはないですし、そんなカードが手の中にあるならば、捨てます。
旅が好きな人はどんどん旅にでるべきだし、自由に楽しんでほしい。ただ旅と引きこもりは、その時点では全くの等価値であるというだけです。引きこもりは引きこもった経験をどのようにアウトプットするかを考えればいいんです。プロセスは結果によってのみ語られます。
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このエントリーは、
メルマガ 山本山本佳宏『二十一世紀の未読』
本日配信分の一部を抜粋したものです。
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