■■ 新大学生・新社会人に贈る言葉 ■■

 

風呂敷包みとズダ袋提げたカッペの大群が東京に来襲する季節となりました。皆様におかれましては、益々ご清栄のこととお喜び申し上げます。

 

東京都の人口はだいたい1300万人ぐらいで、ゆるやかにですが毎年増加しております。日本の人口自体はそろそろ減少フェーズに入りますので東京の人口も、それに合わせて減るのか、あるいは外国人がその代わりに流入してくるのか、さらなるカッペが山から流入してくるのか。

 

来るカッペあれば、去るカッペあり。

 

東京を離れていく人も、もちろん後を絶たないわけですよね。




子供の頃に、ドラゴン少林寺という中国のカンフーテレビドラマが放映されていました。テレビ大阪かサンテレビかどっちか。それはそれはたいそう面白かったのです。オープニングもすごいかっこよかったですし。トン!ファイ!トン!ファイ!言ってねー。かっこよかった。戦う前に、辮髪が邪魔にならないように自分の首にクルンと巻き付けてねー。トン!ファイ!トン!ファイ!言ってねー。かっこよかった。

 

少林寺の門下生たちによる熱き青春ドラマといった感じなのですが、それ以上の具体的なエピソードを残念ながらあまり覚えていませんが、なぜかひとつ強烈に覚えているシーンがあります。

 

少林寺で修行する仲間たちのひとりのもとに、父親が病に倒れたという知らせが入りまして、彼は今すぐにでも家に帰りたいと。しかし修行中の身でありますから山を下りることは許されません。その自由を得るには、試験を受けて合格しないといけないんですが、本来その試験はもっと修行を積んで受けるものなのです。

仕方なく試験を受けますが、当然のように不合格で、やはり出られない。帰れない。しかし帰る方法がひとつだけあります。

 

もちろん、門をくぐって下山することは許されませんが、少林寺には、犬猫が出入りする、小さな抜け穴があります。修行を放棄して逃げ出す者は、そこからコソコソと、逃げだしていくわけです。畜生のごとく四つん這いで。

 

 

修行は続けたい。しかし父を放っておくわけにはいかない。

彼は泣く泣く仲間たちに別れを告げ、みじめに穴から這い出して、少林寺に戻ることはありませんでした。

 

 

身内の不幸により泣く泣く仲間のひとりが離脱、という、非常に様式美の高いベタなエピソードのひとつであると知っている今日においては、このエピソードを仙人のごとき微笑を浮かべてスルメを噛みながら眺めることでありましょうが、当時小学生であった僕は素直に、「だせーこいつ」と思ったわけです。文字通りの負け犬やん。強くもなってないくせに逃げだすとか。

 

愚かな小学生ですから「お父さんが大変だから帰らなきゃと思う気持ちは人間として当然である」ということは、記号としては理解しています。感情としては全く理解していない。いやいやいや、そら親父倒れたかもしらんけども。そんなことより拳法の達人にならなあかんがな。こっちはカッコイイ蹴りを放つことを期待して見とんねんと。

「だよねだよねそうだよね、奥義と家族、こんな難しい選択はないよね、わかるよー」とか言って涙ぐんでる男子小学生とか男子小学生の資格ないでしょう、気持ち悪い。目撃してしまった日には僕は年甲斐もなく軽く嘔吐してしまうと思います。


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このエントリーは、

ルマガ 山本山本佳宏『二十一世紀の未読』

本日配信分の一部を抜粋したものです。

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