■■ たら大学れば学部 ■■

 

「あの時ああしていれば」

「あの時こう言っていれば」

とか、たらればを言い出すなら、生まれる前からやり直すしかありません。

どこぞの分岐点に戻ったところで、その分岐点より古い自分は肯定できるのか、間違えずにちゃんとしてたのか、いい人生だったのか、お前みたいなもんが、と言われたら泣きながらチンコ触るしかないのです。

 




例え僕が就職活動の結果、真っ当な企業に就職していれば良かった、と言ったからと言って、僕の思春期やさらに言えば幼少期のダメさ加減を無視できるのか、いや到底無視できない。

もちろん、3歳において10歳において15歳において18歳において、こうしていればああしていれば、就活どころかもっともっと豊かな人生を歩めていたはずです。分岐点に遡る意味なんてない。父親の金玉以前まで遡れるなら遡りたいものだ。

 

 

「たられば」話の代表のひとつと言いますか、ドラえもんのひみつ道具の中で頻繁に話のネタとして取り上げられるもののひとつに、「もしもボックス」があります。

以下wikipedia引用。

 

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「もしもこんなことがあったら、どんな世界になるか」を体験するためのものである。

 

外観は一昔前の公衆電話ボックス(1954年から1969年まで使用されていた通称「丹頂形」)に酷似。中に入って電話をかけ、「もしも○○○だったら」「**な世界を」と申し出て受話器を戻し待つ。電話のベルが鳴った事を確かめてボックスを出ると、外の世界は実際にその通りの世界に変化している。シリーズ中にこれで実現させた世界は、音のない世界、皆があやとりに夢中な世界、鏡のない世界、物価が非常に安い世界、お金のいらない世界、魔法世界などがある。元に戻す場合は、もう一度もしもボックスに入って「元の世界に戻して」と言えば、元に戻る。

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良くお読み頂ければお気づきになるかと思いますが、「もしもボックス」は、『たられば実現マッシーン』でありながらも実は、今日から連なる『未来』についての「たられば」にしか使われていません。過去のたらればを想定していないとさえ言えるかもしれない。

 

 

「もしも、僕ががもっとイケメンで頭が良く生まれたとしたら?」

とは、のび太は言わない。

 

「もしも、あの時0点をとらなかったら?」

とは、のび太は言わない。

 

「あの時チンコさえ中折れしなければ?」

言わせんなよのび太にそんなこと。許さんぞ。おい。

 

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このエントリーは、

ルマガ 山本山本佳宏『二十一世紀の未読』

本日配信分の一部を抜粋したものです。

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