山本山本佳宏 yanmo.jp

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西野カナは震えない

 

最大公約数を考えてみましょうよ。僕と西野カナの。

 

 

僕はかつて、自分の個人実名Twitterアカウントをお仕事で利用していたこともあり、自分の好きな芸能人と近い関係なのではないか、自分の好きな芸能人にまつわる情報を呟くのではないか、などと推測した方々から、いくばくかのフォローを頂いていました。2000人くらいは減ったんですがそれでも現在…5412人です。このうち僕の知人である人は多くとも20人とか30人とかで、あとの人は、顔も名前も知らない。

知らない人からフォローされ、これといったやり取りもない。ただ黙って横目で見られている。赤の他人から。これは恐ろしい。

芸能人でもない低級国民であり、不特定多数からの好意を集めるのが嫌いな僕にとって、これは異常な環境です。自業自得です。まああの、Twitterやめてしまえばいいんですけども。

 


喜怒怒怒


インスタグラムっていう写真投稿アプリがあるんですけど。使ってますかみなさん。ツイッターの写真バージョン的なことですが。簡単にオシャレ写真加工ができるので人気ですよね。

で、僕の使い方は例のごとく、「イイね」「シェアさせていただきます」「ちなみに私の場合は」スタイルからは程遠く、ただ適当に気に入った写真の人をフォローして目を楽しませているだけなんですが、インスタがですね、ついに本格的マネタイズを始めまして、どういうことかというと、広告を表示し始めたんです。


苦痛に耐える力を自慢し合うのは


“苦痛に耐える力を自慢し合うのは野蛮なヤツらだけだ。”

 

 

辛いことから逃げる、ということについては、これまでも何度か言及しました。

 

2012.02.07 No.028 井蛙

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ここにいてはいけないような気がしている。

ここにいるとウンコみたいにイジメられる。

ここにいるとストレスが溜まって発狂しそうだ。

ここにいると自分がダメになる。

 

ならば、逃げれば良い。猛ダッシュで。全速力で。

どこに行けばよいか分からなくても良い。走れば良い。猛スピードで。

 

逃げては行けない、立ち向かえと、教わりましたか。

それは、誤りです。



新たなものが現れるには、古いものがすべて終わらなければならない


発想力とかひらめきとかに、ある種のスピリチュアルな、信仰にも似た絶対性を感じている人は少なくないのかもしれませんが、それらを僕は全く信じていないというのは以前にも申し上げた通りです。

ひらめきは、記憶のアレンジでしかない。ある記憶とある記憶を組み合わせてアレンジする。

その組み合わせの結果を、僕たちはひらめきと読んでいるにすぎません。

人は、記憶の上でしか思考できない。知らないことについて考える、というのは根本的に不可能なのかもしれません。

 

 


水中、それは


水鉄砲に興じる子供たちを公園で見かけました。

風さえもむせ返る熱気を孕んだ雲一つない夏の空は、いつにも増して悪魔的で、僕は水の軌跡がその空気をほんの一瞬切り裂くさまを、すがるように見つめました。

 


腐ったアイボリー

 

腐ったアイボリーが目に染みる。ユニットバスの蛇口を捻る。

硬い音を立ててビジネスホテルのシングルルームに湯気が舞う。

 

何日も、何か月も、何年も、家に帰らずホテルからホテルへ泊まり歩いた。

それは当時の僕の仕事環境と、人間関係と、精神状態の結果だが、だからこそ僕は、ホテルステイの楽しみ方を知らずに過ごしてきた。部屋に入るなり倒れこんで眠る。ベッドから無理やり身体を剥がす。ひたすら目を閉じて頭に熱いシャワーをぶち当てて、濡れた髪のまま仕事場へと戻っていく。僕にとってのホテルステイは、苦痛に満ちた隙間だった。日常と非日常。汗臭さと石鹸臭さ。疲れと疲れ。仕事と仕事。


怒り心頭に発す

 

諸君、私は着信音が嫌いだ。

遠くで音を鳴らす着信音が嫌いだ。

私を見てと泣き叫ぶ着信音が嫌いだ。

誰彼かまわず声をかける着信音が嫌いだ。

 

諸君、私は外で着信音をどデカい音でぶっ放すおっさんが嫌いだ。

 


こどもの非


まあ一言で言うと、カスみたいな学校だったんです。僕が通っていた中学高校は。

自らの居場所の価値は自らが与えるものだという、身も蓋もない真実を差し引いてもなお、学校という箱の中には多量のカスがこびりついている。逆パンドラの箱とでも呼びたくなるようなありさまです。


スーツ使い捨て

 

どこかの学長の、「スマホやめるか、大学やめるか」ネタについて書こうと思ってたんですけど書き始めたら急にイヤになってきましたー。やばい。時事ネタとか超ダサいしー。何で書こうと思ったのというと、このネタにまつわるほとんどの感想は、根本の部分で的外れだから先っちょで延々クリクリしていても当然まともな答えはでないからです。スマホには依存症のようなものが確かに存在しますが、その依存症は、農家の人の腰が痛くなるのと同じ症状です。それを踏まえたうえでのワーキャーならいいんですけどねえ。やっぱイヤになってしまったのでやめときます。じゃあ最初から書くなと。昔のメルマガの各地にそれないの何かは書いてありますんで。

 

 

先日、結婚パーティにお呼ばれ…はしていないんですけどお手伝いすることになりまして行ってまいりました。


コラテラル・ダメージ


元々ガッツとか根性とか全くない性質なものですから、体調が悪いとすぐにやる気がなくなってしまいます。寝たくなる。寝るの好きだから。で、布団の中でぬくぬくしながら、昔の結核の作家とか喀血しながら物書きしたという人たちのことを考えて、スゴイですねーとか素直に思ってしまいます。ガッツあるなーと。僕なんか咳が出始めたらすぐに薬飲んで寝てしまいます。体調悪い時に面白いことなんか考えられません。


趣味


例えば音楽聴いたりライブ行ったりするのがお好きなんですよね?

例えばアイドルとかミュージシャンを追っかけ回すのがお好きなんですよね?

例えば映画を観て批評めいたことを話したりするのがお好きなんですよね?

 

これらは「趣味」なんでしょうか、と問われれば、そんな軽いものじゃない、ノーライフ的なことだとおっしゃる方はいると思われますが、軽重は各自の裁量で勝手に自認していればいいのであって、音楽鑑賞とか映画鑑賞とかスポーツ観戦とか、それらは古来より趣味の欄に書く代表的な趣味とされています。


Christmas in the Ass


明けましておめでとうございます。

旧年中はお世話になりました。

本年もよろしくお願い申し上げます。

 

 

これを書いておりますのはクリスマス辺りですので、いつかの12月の思い出を話させていただこうかと思います。

 

大変寒い朝でした。私は寝ぼけまなこでトイレに向かい、大きい方をしようと便座に腰を下ろし、そしてきばりました。

いたっ。

 

新年早々下ネタとか、他人様をナメてるんでしょうか。

 


banira sheiku 3


 弱者必衰の理が逆ピラミッド型に突き刺さった底で蠢く虫けらのように僕はモテません。不細工な上に根性が腐っているんだからしょうがないんですが、それでももし仮に万が一in case、女の人から好かれるようなことがあるのだとすれば、それは仕事ができたからです。自分の男が仕事できることによって得ている社会的地位や肩書きや金、どれを自分に飾って楽しみたいかは女性によりますが、僕がある程度継続して人から好かれるとすれば、それしかありません。

 ありのままの自分とかナメてるんでしょうか。僕から仕事を奪ったら、残るのはビーチに打ち上げられたイカの死骸程度の不快な物体だけです。それを曝け出して愛してくれる人を待つわとか、ナメてるんでしょうか人類を。早朝に砂浜掃除にきたアホみたいな顔のNPOに踏まれて埋まってしまえばいいんです。


考えさせられます


映画にはストレス解消と何も考えない時間しか求めていないので、演者の演技が気になってしまう邦画は観ませんし、洋画でもいわゆる「考えさせられる深いテーマ」みたいなのは観ません。そういうのは自分の頭の中で十分間に合っているし、何よりも頭を使いたくなくなってどうしようもないときに映画を観に行くのです。そういえば、「考えさせられますね」撲滅委員会も設立しなきゃいけませんでしたね忘れてました。

 

何でたまーにしか観ない映画についてこんなに何度も繰り返さなきゃいけないのかと、いい加減自分でも嫌になってきていますけど、そこはまあ、ラジオテレビが登場する前の国民的娯楽であったってことで。やっぱ映像ってすごいなと。すごいっていうのは、映像って楽だよなっていう意味でもあります。


banira sheiku 2


 十三(じゅうそう)のマクドナルドのバイトは簡単にヤレる。中学生の時の同級生が当時、武勇伝として語っていたのを遠く思い出しました。大阪には十三という、治安がガバガバの街があって、風俗店が立ち並ぶ駅前の道の入口辺りにマクドナルドがありました。店に入るとめちゃくちゃカワイイ女の子がレジに立っていたので話しかけ、今日はバイト何時で終わるのか聞くと8時までだと。じゃあ待ってるから終わったら遊びに行こうと誘うと、笑ってくれたのでコレはいけると本当に8時まで待ったところ、その女の子が店を出てきた。「そのあとはどうしたん?」「そらホテル直行よ」。


banira sheiku 1

 暑くなると、どうしてもバニラのマックシェイクが飲みたくなります。なめらかでしっとりしていて冷たくて甘い。全ての要素が単純であり、単純だからこそ間違うことなくダイレクトに届く。

 大人になってしまった僕は500円とか800円とか1000円とか1500円とかの似たような食品を口にし、時としてそれらは大変美味しいものでしたが、美味しいから何だというのでしょうか。こんなケミカルであるがゆえにイノセントである飲み物に、作り手のエゴの臭さを混入しないでほしいのです。濃厚な高級牛乳とか、エッセンスをひと摘みとか、葉っぱ乗せるとか、そういう複雑さは僕には要りません。

 味わって何を思うかは個人の自由。しかしどんな味であるかについての判断に自由を与えない。バニラシェイクとは甘くて冷たくニュルッとしていながら噛んだらシャリっとしているバニラ味であることを知れ、と、それは要求する。僕はバニラのマックシェイクのそういうところを愛します。子供の頃にこんなものを味わってしまったら一生飲むに決まってるでしょうが。


自由が丘(中編)

 

過去は記憶に縛られて、未来は夢に縛られて。僕たちはどこにも行くことができない。

僕たちには、今しか残されていないのです。

ただひとつ、どこにでも行くことができる今の自分の自由を、過去や未来は制限します。

 


自由が丘(前編)




書いている途中で、「何でTwitterなんかに書かなあかんねん」という気持ちで胸がいっぱいになりまして途中でやめたのがこちらのツイートになります。

 

いつも申し上げているように、人間が幸福に生きるために、人間がルールを作ったのであって、ルールが人間を作ったわけでも、ルールのために人間は生きているわけでも、ルールに生かされているわけでもありません。

ルールは守らなければならない、というのは一部は正しく、一部は間違っています。自分が幸福になるためにルールは守らなければならない。しかし、自分が幸福にはならないルールは破り捨て、自分が幸福になるルールに新しく変えなければなりません。

 

何と身勝手な考え方だろう、とおっしゃる人がいます。「他人に迷惑をかけてはいけません」「自分一人で生きているわけではありません」「人に迷惑をかけないようにするために、ルールは守らなければならないのです」と。


夢破れて

 

「夢が破れた」と言うとき、その破れ方には二種類あります。二種類しかありません。

 

一つは、「金銭的理由」です。

僕たちが、○○になりたいと夢を語るとき、その夢を正確に表現すると、「○○になって金を稼ぎたい」「○○になって地位や名誉を得たい」となります。

その職業になること、それを実現すること、が夢である人は意外に少数です。ほとんどの夢には、ちょっとは稼ぎたい、ちょっとは認められてチヤホヤされたい、ちょっとは売れたい、がセットでくっついてきて、その部分が実現できず、「夢破れた」と言います。

「私はそんな汚い考えを夢にしたりしません!」という人はそれで結構だと思います。金を稼ぐことを前提としない場合、ほとんどの夢は実現しますので、安心して進めばいいと思う。

一方で、そうではない人たちは、「金を稼いでチヤホヤされることが夢である」自分と、きちんと向き合うことが、最初にやらなければならないことです。下手したら下手をしなくても、○○になりたいという部分が、実は今の自分にはどうでもいいことなんじゃないかと気づく可能性もあるわけですからね。

 

二つ目は、「対人関係上の理由」です。ギターとベースで女ボーカル取り合って殴り合いの末解散的な。ちょっと違いますか。

僕のようなコミュ障ではなくとも、対人関係の問題は、必ず起きます。この人とは合わない、この人とは一緒に仕事したくない、いるだけでムカついてしょうがない。だからこの場所にいることはできない、私は我慢できないから去ります、という流れで、「夢が破れる」。その反対で、自分はこの人たちに迷惑をかけているんじゃないか、自分は邪魔者なんじゃないか、もうウジウジ考えるのは疲れた、辞めます、という流れもありますけど、これらはコインの裏表であって、似たようなものです。対人関係は、人と人の間にあるもので、どっちか一方にだけ理由があることはありません。人間に合う合わないはつきもので、ということは、あなたに合う人は必ず存在する、めちゃくちゃ働きやすい場所は必ず存在する、ということでもあります。

人と合わないことを我慢する必要はありません。しんどいだけで得るものが何もないですし、こんなことで夢は破れたりしません。どんどん場所を変えればいいと思います。

 

この二つ以外に、「自分はやる気満々なのに、残念ながら夢が破れてしまった」という事態に陥ることは、基本的にはありません。

 


裂け目 4

 目に見えているものが、一歩踏み出した途端、前に突き出した掌に触れ水紋を描いて歪んでいく。道も草も石も空気も、暗がりの中、右手をかざして立ち止まる自分の後ろ姿も。進むはずの行く先が、進むことによって滲んでいく。

 手に力を込めて真ん中の道をさらにもう一歩進むと、歪んだ光景に一筋の大きな裂け目が天に向かって走り、構わずトキはぞんざいに、裂け目に身体をねじり入れ、そこには暗がりの中に浮かびあがる、白く細い三本の道の分岐がありました。何度選んでも、何度突き破っても、何度進んでも、変わらぬ分かれ道。一本の道を選ぶことが、三本の分かれ道を生んでいるのです。元来た道を戻ろうと振り返っても、そこに道はなく、ずっしりと濁った闇があるだけでした。

 同じことの繰り返しなら、なぜ前に進まなければならないのでしょう。トキはその場に乱暴に腰を下ろして腕を組み、見慣れてしまった三本の道を睨みつけました。この道の先に何があるのか、何が待ち構えているのかを知りたい。それがトキの望みであり、道を選んで前に進んだ動機でした。しかしいくら進んでも答えはなく、代わりに与えられるのはいつも問いです。同じ問いです。




山本山本佳宏 『二十世紀の未読』 完全版(pdf/epub)

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